御供物調進所 かめや利平
愛され続ける5つの理由
お客様お喜びの声
今まで御札に付ける待遇品としてやむを得ずクッキーを使用していましたが、前から干菓子を付けたいと思っていました。お茶をやっているのですが、干菓子は結構いい値段がするので躊躇していた所もありました。変えたい気持ちは前からすごくあって、丁度かめやさんが来てくれました。ただ甘いだけの干…
当寺は臨済宗のお寺です。平成25年11月に佐倉の殿様の家紋の堀田木瓜を寺紋としてお供物を作ってもらいました。お正月の佐倉七福神巡りに参拝者に子供さん連れでこられた子供さんにお土産に小さいお供物をやると、親子さん共、他のお寺でやっていないお供物をもらったとよろこんで感謝されます。…
かめやの歴史について
神社仏閣様と共に歩み続ける御供物調進所です。
かめやは江戸中期にあたる宝暦元年(1751年)に、千葉県成田市の大本山成田山新勝寺門前にて、かめや利平衛が創業いたしました。創業期には茶店を開業し、主に生菓子をふるまっていました。
成田の中心的な和菓子店として、饅頭、羊羹、練り菓子、干菓子など多くの和菓子を手掛けてきました。利休饅頭が人気を博したり、第四回菓子博覧会で銅賞を受賞した「ほほえみ」という菓子もございました。中でも江戸時代末から明治期にかけて成田名物として参拝者に広く知られたのが、かめやの「成田おこし」でした。
歌舞伎の七代目市川団十郎とは深い親交があり、天保十三年(1842年)から十四年にかけて成田に居た折、当時のかめや店主に世話になったお礼として自ら珍菓子を考案し命名したのが「団十郎餅」と「海老蔵あめ」でした。七代目は舞台から聴衆にまいていたこともあったそうです。直筆の大看板と由緒書きは代々家宝として大切に保管しているものです。
明治25年には当時のかめや利三郎が大本山成田山新勝寺様への信仰が厚かったことから「成田山御供物所」の看板を正式にいただきました。当時の御供物所は新勝寺様境内にあり、御供物を奉納させていただき御参拝者にふるまっていたこともありました。また、明治十四年及び同十五年に明治天皇が成田山に行幸された際に、菊の御紋の打菓子を献上させていただいたこともございました。
当店は全国でも数少ない御供物として紋菓をお作りする専門店でございます。当店は平成28年に有限会社亀谷堂よりのれん分けいただき、全国津々浦々の神社仏閣様に御供物・撤下品として菓子をお届けしています。